あまりにも、と蟻は言った。
あまりにも幼稚な感情活動であったよ。原稿用紙のほとんどすべてを空白に費やして、最後の行にたった一言。これは一体どういうことだい?
蟻は言い終えると大きく息を吐き、大仰に手を振りかざしてから腕を組んだ。
その言葉に僕が激昂するとでも思っていたのか横柄な態度とは裏腹に身を硬くしていたが、僕が微笑むと蟻はそれはそれで嫌な顔をして僕の続く言葉をなんとか否定したいようであった。
そうか、そうか。君の眼から見ても幼稚であったか。確かに単語の一つや二つで表せる表現などたかが知れている。僕の単細胞的とも言えるような感情活動では、この言葉を思い出すので精一杯だったようだ。
僕が困ったように微笑むと、蟻はもう一度嫌な顔を作った。
そうだ。こんな短い言葉など時間にして僅か。機械に任せれば一秒もかからないものを、机に座ってペンを持ち一昼夜かけて漸く捻り出すとは生物的に馬鹿だ。時間対での効率が悪すぎる。蟻はその間に百倍、二百倍の成果を挙げられるぞ。
嫌味の中の得意顔。蔑みと憐憫と僅かな自負心の影を原稿用紙の上に落とす蟻に、僕は封筒を引き出しから持ってきながら言う。目は紙の上に踊る短い言葉たちを見ながら。
なんでだろうねぇ。僕はこの言葉をたしかに書きたかったのに、紙の上に書いてしまうとどうしてもかっちり嵌らないんだ。もっともっとたくさん形容してみたり比喩も沢山使ったのだけれど結局全部無駄に思えて、書いては消してを繰り返して。残ったのは簡単で原始的で、限りなくシンプルな言葉だけど、だからこの手紙から多くのことを感じ取ってほしいんだ。
情報はその文字しか無くとも?
無くとも。どうして多くの余白を残したか分かるかい?
悩んだ時間の視覚的表現か?
いや。実は余白は、もう埋まってるんだ。
そこには僕が書きたかったすべてが書かれている。
普段あまり聞かない ラブソング を聞いて気付いた
多分叶わない 片思いの人 の 人生に自分が少しでも加わる事ができてよかった
部屋にただひとり。
カーテンを閉めて遮った。
イヤホンをつけて聞こえないようにした。
現実の世界なんてつまらない。
空想、理想。
その世界の方がよっぽど魅力的だ。
流れ出す音楽と映像は、現実を忘れさせた。
ふと接続を切る。
この世界に戻ってきた。
心は締め付けられるままだった。
むしろ、くるしくてたまらなかった。
理想の世界からあふれる光と音。
安定剤のようなそれは、もう僕にはきかない。
布団をかぶってたえる。
朝がくるのなら、この夜からも抜け出せるはずだろう。
心の中で繰り返される僕の声が、響く。
繰り返してきた疑問と答え。
それが詰まった部屋は、容量オーバーみたいだ。