「きっと、わたしのせいで負けたんだ。」
「わたしのこと、嫌い?」
幼稚園に通っている頃、自分に自信がなくて、周りの目を気にして、びくびくしながら生活していた。そして、分かっていた。この後、そう遠くない未来にもっと友達とうまくやっていけないだろうということも。
小学校にあがり、4年が過ぎた。クラスで亀の「ゴジラ」を飼うことになった。みんながゴジラを溺愛した。そのくせに当番がまわってきても、水槽の掃除を毎回わたしに押し付けてぺちゃくちゃとお喋りをしながら、去っていった。水槽の掃除をしながら、毎回涙をこらえ、考えていた。「なんでわたしだけがこんな思いをしなくちゃならないの」と。
そしてある日我慢できなくなって、
「みんなもちゃんと掃除してよ!」
とさけんでしまった。154個の目がこちらをみた。「うるさいなあ」とでも言うように。控えめに言って、その視線でずたずたにされそうだった。そして、その日から1対27の戦争が可視化され、大きくなった。
さいこぱす。と申します。
いつものようにだらっと皆さんのポエムを見てたら、気になったことがあったので、質問します。
「あなたは、書き込みながら、考えてますか?」
「それとも、考えてから、書き込みますか?」
ぜひ、教えてください!
どちらかというと…
·書き込みながら考えてる人は『良いね!』
·考えてから書き込んでる人は『ファイト!』
·同じくらいかなという人は『キュン』
·「ふざけんなよ怒」「わかんないし怒」 「おぼえてね〜や笑」という人は、『うんうん』
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桜蕾がしずくのように腫れてきて
ぱっと咲きたる薄紅
滴り落ちた花びらは
ひとひらづつは小なれど
潮の流れを作りつつ
薫風纏う大群は
小寄り集まり大と成る
鰯の大群と見つけたり
滴り落ちた春鰯
寄せては散ってを繰り返し
千本の道を気ままに抜ける
ここに春こい
希うきみ
春の気候は冬にもあるが
はるけきものを春と呼ぶべし
小説を書きたくなったので、書いていきたいと思います。
ほとんど初めてなので、文章がおかしいかも知れませんが、お付き合いよろしくお願いいたします。
先を読んで、相手の感情や行動を忖度する。
それは逆を言えば、
一歩踏み込んだ本音はわからないということかもしれない。
自分が発した言葉は必ず返ってくる。
それはつまり、
言葉の持つ質感が心の色を変えてしまうことかもしれない。
新鮮さと慣れ。
知ることと知ったことに対する所有感。
所有感は満足に繋がる、
つまりはマンネリってやつだ。
踏み込まなければ、相手は語らない。
言葉の質がなければ、心の成長はない。
気づきがなければ、未来はない。
心の感じたものが増えれば
きっと誰からも羨ましがられる
オトナに
なれるのかもしれないね。