生きているときそれは追い風の時もある、でもほとんどは向かい風。生きるというのはそんな時でも歌いながら立ち向かって行くということ。でも何より生きているというのは 笑っているということ
口の周りをケチャップだらけにしてナポリタンを食べる幼児。
可愛い。
だがこれを大人がやったらどうだろう。
醜い。
可愛いと思われることもまれにあるが。
危ないと思われることもあるね。
子どものわがままは可愛い。
駄々こねたりして。
だがこれを大人がやったらどうだろう。
そういうことである。
子どもが可愛いのはなぜか。
無邪気だからである。
他者の気持ちに対する想像力が低いため、感情的になり、我を通すことで他者を不快にさせているということに気がつかず、いつまで経っても我を通すパターンから抜け出せない。
そんな大人が増えてきた。
つまり無邪気な大人。
無邪気で語弊があったら半分無邪気。
なぜ無邪気なままなのか。
無邪気なほうが得することが多いからだ。
金や物、サービスの点でね。
物質主義の人はそれでよい。
しかしながら、豊かな人間関係が得られることはないだろう。
もっとも無邪気な大人は豊かな人間関係なんて言われても理解できないだろうが。
それにしても、注文した目玉のせチーズハンバーグ定食がまだ来ない。
俺は店員をつかまえ、怒鳴りつけた。
もう三〇分近く待ってる。いくらなんでも遅すぎないか、と。
さらに、この店がいかに低レベルか、食べログに書くぞ、と。
したらすぐに目玉のせチーズハンバーグ定食が来た。
会計時、店長らしきが、割引券を何枚かくれた。
さすが、大人の対応だ。
完璧主義なんてものはごく狭い世界でしか実現できない。
こんなものは世間知らずの視野の狭い者が混乱しないための拙い技術の美称でしかない。
辛い事は幾らでも。だけど一歩でも
踏み出さなければ見えてこない。
痛いと嘆くより辛いと思うより前に進みに
行かないと積み上げてきた歳の数が無駄になる。
先を見て視線の先に進みに行かないと辺りに舞う
暗闇に飲まれてしまう。その為に
逃げる様にして先へ進む。ただそれだけさ。
個性というのは自分一人の物語。
偶然、偶々、運命的に、街の中で個性が個性に
出会う時。自分一人じゃない。
自分の住んでる世界を巻き込んだ物語が始まる。