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理系VS文系 

セカオワ先生の「RAIN」という曲で、「月が咲いて、太陽が今枯れた」というフレーズがあります。

要は対比となるものの片方がなくなったという歌詞ですね。とてもロマンチックで好きです。

しかし、これ、本当になくなるのならば、どちらがいいのでしょうか?

理系人間からすると、「生態系を作るのに太陽は必要不可欠」とか「体内時計を狂わせないために月が必要」(ただし、約半日すれば自然と夜になるのでその点は月は有無関係ない)と色々と意見がありますが、文系から見たこの問題はどんな風に見えるのですか?

表現の豊かさとかそういうのを意識して考えてみてください

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  • うーん…

    「今まで見栄を張っていた自分が枯れて、本来の自分が咲いた」ということかな?

    あんまり表現豊かじゃないかも…

  • 自分は
    「月が咲いて」→月が出る→月は太陽の光によって輝いている

    「太陽が今枯れた」→太陽が見えなくなった

    それは、太陽が見えなくなっても、「月が見える」という事象そのものが太陽の存在を表している。

    つまり、大切な人(?)がもしいなくなってもその存在のおかげで自分の存在がある的なことかなーと思いました!

    理系って、すげー!w

  • 文学を学んでいる者からすると、かなり気になる歌詞ですね。
    タイアップした映画「メアリと魔女の花」のホームページを見ると、主人公・メアリについて、「持ちえた魔法の力に頼らずに歩もうとする少女」(「イントロダクション」より)とあります。
    強大な力である「魔法」と、弱小な「人間」の対比を「太陽」と「月」に置き換えていると考えることはできないでしょうか。
    また、歌詞全体を見ると、少し暗いイメージの冒頭から、段々と明るい雰囲気になっているのを感じます。これは、弱小な人間である「僕」が、希望を取り戻していく、そんなメッセージが見えます。これは「持ちえた魔法の力に頼らずに歩もうとする少女」であるメアリの人物像と重なると考えられます。
    「メアリの心の中を空模様になぞらえて書いた楽曲」(「主題歌」より)のFukaseさんのコメントとも合致するかと思います。