慣れとは怖いものですね
初めは怖いと思っていたものが
今では当たり前になっていて
いつか
私がこの世界から消えたなら
当たり前と思われて
何事も無かったように
刻が過ぎてゆくのでしょうか
あぁ
いつか流れてたあのニュース
誰かが死んだかもしれない
だけど私は何事もなかったように
今日を生きてる
なんて不思議な世界
「たとえば、きみが死んだら」と云う曲を思い出しました。
自分が死んでしまったあとのことを考えることは(最近あまり頻繁ではなくなったけれど)たまにあります。
死んだらひとの心のなかに行く、と桜井京介くんが云っていたけれど、それは生きているときも変わらないのかな、と思います。こうして生きている自分は此処に生きているんではなくて、ぼくを知っている何人かの人たちのなかにこそ生きているんじゃないかって。
…なんか他人のことばばかりを借りて訳の分からないことをつらつらと書いてしまいました(笑)
シャア専用ボール さん
レスありがとうございます。
私もたまに自分が死んだあとのこと考えるときあります。
誰かの心の中に生きてくれているっていうのはいいですね。そんな風に自分が生きていたら、幸せでしょうね。
とてもいい言葉ばかりで感銘を受けました
ありがとうございます!
それを考え出すときりがないけど、やっぱり自分が死んで何事もなかったかのように日々が過ぎていくの考えるとなんだか寂しいし、ちっぽけな自分ながらに何かしら世界に爪痕を残したいと思うんですが...
どちらにしろ自分達が生きていないと続かない命ですから...生きてることに意味はあるんでしょうね。
かばざん さん
レスありがとうございます。
そうですよね。自分が生きていたっていう証は残したくなりますよね。
自分が生きている意味を考えると難しいですけど、自分が生きているからこそある命があるってことを考えると、生きてることの意味はありますね。