白々と年が明けて、ぽつり
ぽつり、目を醒ます
街を眺めていた。
「おめでとう」より
「おはよう」が好き
珈琲を淹れていつも
通りの朝だよ。なん
て、ちょっとだけ意
識しているんだけど
おやすみ、また明日
夜明けの美しさは普遍的なものですが、叶うならあの人やこの人の瞳に乗り移ってどんな風に見えているのか分かりたいと思うことがあります。
久しぶりの書き込みにレスをいただいていてびっくりやらで跳ね上がりました。
「今」は今とはいえ、1時間や1日1秒の差で、後付けの区切りで何か劇的な変化があったりして、騒いでみたりもして、四季のことなんかも思い出すとしみじみわたしたちは地球の自転の僅か何°に振り回されているのだな……と思います。とはいえそのことがなんだか愛しく思えてもくるのですが、結局それも新年ゆえの気分なのでしょう
ちなみに2017は馴染んだころには消えてしまいましたが、今年が平成30年というあれ、あれはさすがに嘘です
はんなり≫
こちらこそレスありがとう。改めてよく見るとはんなりさん、まだお若かったのね(失礼)
夕焼けや田んぼもそうだけれど、この美しさを誰かに伝えたいってカメラやメモ帳を手に取る気がします。それでいて、誰かのつくった美しさに触れるときも自分の観たものの記憶と重ね合わせているのだけれど…美しさなんて所詮はぼくらの心のなかにしか存在しないものなのかも知れませんね。
車輪の回転や線路の枕木の数を数えてもみないように、5分や一時間、半年や1年がなんだ!って思うけど、やっぱり左腕には時計を巻いて、ラジオから時報が流れるたびに秒針を確認したりしてしまう自分がちっちゃく思えたり、やっぱり愛しく思えたり…
麻生はじめ(灰色の砦/篠田真由美)が乾杯の音頭で述べたように、世紀や年の区切りなんて所詮押し付けられただけのものだと思うこともあるけれど、それでもしーんとした元日の朝霧を吸って(柄にもなく目が醒めて早起きでした)、ラジオでお琴の音を聴いて(笑)、結局お正月から逃れられない自分に苦笑いですね。
そうか、平成30年…!
ずっと西暦で生活をしていて、思えば平成は20年代ぐらいから違和感ありまくりでした(笑)う〜ん。歳とるなぁ。