この前、ふと思った。
『もしこの瞬間に
自分が死んでしまったら』
心から涙を流してくれる人は
何人いるのだろうか。
家族や親戚は
泣いてくれるだろうと思う。
では他人の友達は?
何人の友達が
心から涙を流してくれるのだろうか。
何人の友達が
心から悲しんでくれるのだろうか。
答えは分からなかった。
...いや、違う。
考えるのが怖かった。
いつかその答えが
何も躊躇する事なく
出せたらいいと思う。
同じことを一人になるたびに考えます。
「名(評判)は(香りのよい)油に勝り、死ぬ日は生まれる日に勝る」と聖書にはあって、人間が死ぬ日ってつまり、その人の人生が完成する日なんですよね。その日に誰かが泣いてくれるような人生を歩みたいし、亡くして悲しむに足るような人間でありたいと思いますね。
でもきっと死んでしまうまで確かなことなんて誰にもわからないし(たとえば植村直己みたいに誰にもわからないかたちで消えてしまうのかも知れないし、バス事故やテロなんかで自分を知っているみんなと一緒に死んでしまうかも知れませんよね)、だからと云って早く死んではっきりさせたいなんて思わない。むしろもっと生きてたくさんの頁をつくっていきたいって思いますよね。
自分が生きているってことは本当は此処に生きているんじゃなく、自分のことを知ってくれている人たちの心のなかにこそ生きているんじゃないかってときどき思います。人生ってつまり、そう云うものなんじゃないですかね。たくさんの人と出会って、たくさんの自分を残していくこと。いずれみんな死んでしまうのだとしても、ぼくがこうして生きたことを神様だけでも憶えていてくれればそれでいいって思います。