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3月11日。

今年もやってきました。この日。
東日本大震災からもう7年です。
私は原発事故があった、あの町に住んでいました。
当時、小学校1年生。その日、あとちょっとでおばあちゃんの家だな、と思ったら 大きな地震が来ました。ひたすら怖くて、班長の座って!という声で、地面に座りました。周りを見ていたら魚屋さんの外壁がベロンと簡単に剥がれて 下にいた人達が走っていたり、いつもお母さんの車に乗って通ったあの道が地割れによって割かれたり、目の前のレンガの山がドンと音を立てて落ちたり。小学校1年生の私には衝撃が大き過ぎたのに、涙は出てきませんでした。
でも、私より上の学年の人達はわんわん声をあげて泣いていました。
私と姉は家に帰りました。そのまま家に入れば、家のなかはぐちゃぐちゃ。朝食べたヨーグルトが家のなかに散乱していたり、教科書が机の上に広がっていたり。お母さんは、自分より大きい食器棚が倒れそうになり、支えていたと言いました。
外に出れば、近所のおじさんが「避難して、皆ここにはいねぇ」と言いました。避難がこんなに続くなんて思ってもいなかったので、私はお気に入りだったぬいぐるみ、手袋を持っていきました。公民館は、人でいっぱいで支援物資が来たらたくさん大人達に押し出され、結局ひとつも取れませんでした。その時、おじいさんがゼリーをくれました。ありがとうと言って、その日は車の中で一晩を過ごしました。
しばらくして、4台のバスが来ました。役場の人が「これに乗って、少し遠いところまで避難します。」と言いました。
そこから始まった避難生活。
ただ、楽しいことは少しだけでした。車のナンバーを見てそこ出身だと分かればその車に石をぶつけられ、最近では嫌がらせをされたというニュース。私の姉は、「いいよね、あの事故に遭った人は、お金安くなるんでしょ?私も遭いたかった」と言われたそうです。私達は、遭いたくて遭ったわけじゃないんです。私の友達に、友達の分まで生きる、と言っている女の子がいました。亡くなった方の分まで生きようとしているのを邪魔しないでください。

私は、あの震災でスマホなどに来る地震速報の音が怖くなりました。聞くだけで、あの当時のことがパッと頭をよぎります。
皆さん、避難訓練はちゃんと行って下さい。
津波警報では、高台へ逃げてください。

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