2011年3月11日。あの頃は、まだ僕は宮城に住んでいた。
小1だった僕は、その時起こっていることの意味が全くわかってなかった。
その日は車の中で一晩過ごしそれからは、学校の体育館で数週間暮らした。
学校に亀裂が入って、2カ月ぐらいなかった。
僕が住んでいたところは山の方だったから、津波は来なかったけど、
友人が津波の被害を受けた。ものすごい大変だったのに、友人はそれ以上に
つらい経験をして。心が痛くなった。
今、この日を区切りとする、とかテレビで言っているけど
区切りにして欲しくはない。これからもずっと忘れないでいて欲しい。
みんなであの日のことを忘れないで、未来へつなげていきたい。そう思った。