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僕はあの日に

僕は3月11の2時46分が嫌いです
僕は震災が起きた日ちょうど大槌町にいました。
小さい頃からずっと遊んでいて大好きな親友に会いに
3月11日の2時46分
僕はその親友の家で遊んでいました
大きい揺れが街を襲い、その数分後に地鳴りが聞こえてきて、その後にドス黒い波が街に向かって迫ってきました。僕と親友で町民をどうにかして避難させ、自分達も逃げようとして急な坂道を登っていました。
想像以上に波は速く、僕もその親友も飲み込まれる!と思った時、その親友が思いっきり僕を蹴り飛ばしてくれました。急に蹴り飛ばされ何!?と思い振り返った僕にその親友は
「今までありがとう!途中で命投げだしたりしたら絶対許さないからな」って
優しく微笑みながら言ってくれたあと波に飲み込まれました。
僕はその親友を追いかけようと思ったけど、ここで追いかけてしまったら、折角生かしてもらったのを無駄にしてしまうと思い、叫びながら坂をかけ上りました。
その親友がいつも言っていた事があります
「全員救えなくても良い。ただ手を伸ばせば届く命だけは見捨てるな。自分の命を犠牲に出来るぐらいの覚悟を持って人を助ける」
親友は自分の命を僕に預けてくれました
親友の将来の夢は介護福祉士
僕は今、介護福祉士になるために頑張って勉強しています。
彼があの時、自分の命を犠牲にして僕を蹴り飛ばしてくれなかったら僕はここにはいません
もし、将来僕が夢を叶えられる事が出来たなら
親友に向かって叫びたいです。
俺はお前の夢を叶えたぞって

僕は3月11日を絶対に忘れません。
僕の大切な友達を連れ去った津波を。
風化させない為にも僕達が声を上げて語り継いでいかなければならないと思いました。
それが僕達の宿命なんだって思っています。

長文になってしまい本当にごめんなさい

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  • 初めまして。
    生の声を書き込んでくださり、ありがとうございます。
    私は鹿児島に住んでいるので、直接被害を受けることはありませんでした。当時の2時46分は、引っ越し前のお別れ遠足に出かけていたので、帰ってテレビをつけたら夢でも見ているのかと思いました。その後、テレビで津波の映像が流れても、怖いとは思っていても、まるで映画でも見ているような感覚でした。
    自分を犠牲にしてでも友人を守るなんて、簡単にはできないですよね。素敵だなんて言葉じゃ言い表せないくらいです。書き込み読んでいて、号泣してしまいました。

    どうか、夢を叶えてください。お友達も、頑張っているあなたのことを見て、きっと喜んでくれると思います。

  • お久しぶりです。書き込み拝見しました。
    僕はその時、まだ年長でした。
    ちょうど幼稚園にいて、みんなで遊んでいた時でした。
    僕たちがいた教室には揺れがなかったのですが、
    園長室が揺れたということで、あまりよく分からないまま
    机の下に隠れたのを鮮明に覚えています。
    そして揺れが収まり、テレビをつけると、
    真っ黒い津波が街を襲っている映像がリアルタイムで放送されていたり、
    ビルや建物がどんどん倒れたりしていくのをただ呆然として見ていました。
    次の日にやっと状況を理解することができ、
    自分にできることってなんだろうと思いながら、手紙も書けないので、
    ただただ無事でありますようにと祈り続けていたことを覚えています。

    7年前ということは、涙に色があったらさんもそのお友達さんも
    9歳だったということですよね?
    僕はそのお友達さんの言葉とか行動とかを見て、
    人生で一番素敵な、格好いい方だと思いました。そんなお友達さんが、
    目の前で津波に飲み込まれていくところを見たり、
    そのお友達さんを助けに行ったら、折角もらった命を無駄にしてしまう
    というように思ったら、その時涙に色があったらさんは凄く辛かったと思います。
    ですが、涙に色があったらさんは、
    そのお友達さんに命を預かったんですね。
    その命を大切にして今はお友達さんの夢を叶えるために、頑張っているんですね。
    そんな涙に色があったらさんもとても格好いいですよ。

    そうです。僕たちは、この出来事を絶対に風化させてはいけないです。
    共に声を上げていきましょう。語り継いでいきましょう。
    その通りです。それが僕たちの宿命です。

  • 今日は2週間ぶりのアイスホッケーです!
    体力がもつか凄く心配ですが、楽しんで行きます!