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ひとりごと ~思い出と後悔~

まだ迷ってる。このことを書き込むかどうか。でもきっと書き込むんだろうな。そしてまた後悔する。まあ関係ない話はこの辺で。


私は小学1~4年生の間、ドッジボールクラブに入ってた。まともにスポーツしてたのはその時ぐらいなんじゃないかな。まだ幼稚園児の頃から入部する気満々で、小学生になる春の4月1日の練習から早速参加してたのを覚えてる。公式のドッジなんて、認知度はかなり低いと思う。多分、試合を見た人の中には「え、これがドッジ⁉」ってびっくりする人もいると思う。でも私は、学校ドッジより公式の方がずっと好きで、面白いと思ってる。

私がドッジ部に入ろうと思ったきっかけは、覚えてないけど、多分兄がやっていたからだと思う。全てを覚えてるわけじゃない、断片的にだけど、よく覚えてることはいくつもある。
1年の時。ターン練習でなかなか上手くできなくて、泣きながらやった事あったな。今思えばできなくても無理のない話だけど。あるイベント事で劇をした時、同じ1年ですごく仲が良かったTと一緒に浴衣を着て姫の役をしたのも覚えてる。捕らわれてる身なんだから笑ったりしちゃいけないのに、鬼の役をしてた人たちに押されたりして、それが何故か楽しくて笑いが止まらなかったのも。話の内容はなんとなくなら覚えてるけど、台詞なんかほとんど覚えてないのに「違う違う」のところだけ覚えてたり。監督が赤鬼で、当時5年だったHくんが青鬼で、黄色い鬼がアトピーの役だったのも。こうやって書き出してみて気づいたけど、案外覚えてるかも。
2年の時。Tはもうこの時には既に辞めちゃってたけど、この年の春にRが入部した。それで、たまたまこの年だけRと同じクラスになって、毎週遊ぶような仲になって。大会の時とかもいつも一緒にいたな。Rが体験に来た時か入部したての頃、母がボールの投げ方を教えてた。ボールを投げた後、ラインを踏まないように軸足でキープしてもう片方の足は上げとくか、回さないといけない。それを教えるのに「かかしさん」って言ってた。卒団式の学年ごとの出し物では、当時の2年は2人だけだったから2人でダンスしたな。自分たちで振り付け考えて、大きい紙に当時の6年8人全員の似顔絵描いて、それを後ろに貼ってハートのタンバリン持って踊った。


長くなっちゃったから続きはまた今度に。

  • 続きは今のところレスに書き込むつもり
  • 時間気にしなくて良いし
  • これだけ書いたら迷いなんか吹っ切れたな
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    後で思い出したけど、1年の時当時4年だった兄が投げた球で左手の薬指剥離骨折したな。練習で試合して、その時サイドから当てられた。あと、2年の時。善通寺に行った時、途中まではみんなで登ったけど、そこからはお土産見たい人と上まで行きたい人に分かれて。登りたがったのは私だけだった。それで、監督と2人で登り切ったな。後でお土産見る時間ちょっともらったけど。
    3年の時。監督に頼まれて、中学の夏祭りでも踊ったな。私は少しだけ嫌だったけど、Rはそれ以上に嫌がってた。それでも「どうしても」って頼まれて。毎週練習してた。でもそれはそれで楽しかった…ような気がする。それと、御所との試合でヘッド食らって鼻血出した事もあった。泣いたな~。DVDとか見る限りいつもビビってまともにボールなんか見てなかっただろうに、その時だけはボールがはっきり見えたのを覚えてる。速いはずなのに何故かゆっくりに見えて、止まってるようにも見えるのに、一直線にこっちに飛んできて…。すっごく怖かった。でも今考えてみればそりゃ怖いし泣くよね。3年で6年が投げた時速70~80キロの球が6~7メートルの距離で顔に当たるんだよ。しかも相手は御所のアタッカー。泣いて当たり前みたいなもんだよ。あと高の原との試合。高の原がパス回してて、ボールが内野に行った時カウントが4になって。自分たちのチームはみんなラインギリギリのところまで下がった。その時、両隣だったキャプテンと副キャプテンが私を後ろに隠して守ってくれて。そしたら、高の原のボール持ってた人はどこに投げるか迷って結局キープ・フォー・ファイブになった。相手がどこのチームだったかは忘れたけど、練習試合で右手の親指を剥離骨折した事もあったな。私は下手だから、それ以外にも何回も怪我してた。