2

N

授業テーマとは違ますが、書き込みします。
わたしはNakamura先生のNという曲を聴いて、少し驚き嬉しく思いました。
「障がい健常区別差別」という歌詞があるように、障がい者はどうしても区別や差別をされてしまうことが多いです。
そして、障がい者をあまり良くは思っていない方も中にはいらっしゃいます。
でも、障がいを持っているからといってなにもできない訳ではないのです。
健常者の方と全く同じやり方ではできないこともありますが、それぞれに合った工夫をすれば、色々な可能性が生まれると思います。
障がいとは、ある部分が不自由になっただけの、一人の人間なのです。
だから、「障がい者」と聞いた時、理解したいとか、受け入れて話を聞いてみようと少しでも思ってもらえたら、きっと相手の方も嬉しいと思います。
自分のどこが不自由で、どんな工夫をしているのか、コミニュケーションを取ることでわかってもらいたいと思う人も多いはずです。
是非、授業のどこかでNを流して欲しいです。
このメッセージが一人でも多くの方に届きますように。目の不自由なわたしからの思いでした。

レスを書き込む

この書き込みにレスをつけるにはログインが必要です。

  • 多分元々は障害者って表現が悪かったんだと思うよ。
    障害者って言うだけで有害だってイメージがついちゃって、それが日本じゃ影響が抜け切ってないんだと思う。
    って中学の教科担の受け売りだけど。

    だから障害者の害もいつの間にか平仮名が増えて来たんだって。
    それは有害なイメージを少しでも払拭するためだとか。

  • そう。
    別にパフに障害があるかって聞かれたら、俺の知る限り言う程ない。
    障害って乗り越えてチャラにするもんで、パフはちゃんと乗り越えてる。(って担任の受け売りを含めた俺の見方に過ぎないけど。)

    これだけ自分なりにやれてるのって案外凄い事だよ?
    目の障害って自分で何とか出来たものでも回避出来たものでも無いはずだから、ホントパフが自分を責める理由なんてどこにもない。
    自分と他人は傷付けちゃダメだよ。
    無理と自責は出来るだけでもやらない方が良い。