聴きすぎて聴き飽きた、聴き慣れた音楽を流して
見過ぎて見飽きた、見慣れた街を歩く
人混みをかきわけ
通り過ぎた先に、
見えた朝日と晴れ渡る青空
僕はそこに僕自身が存在する意義を問うた
答えは、見つからなかった
けれど、もうすぐそこに
意義を見つけ出せそうな光があった
その光は、その道は、
掴めるのか?いや、掴むんだ。
時間がかかってもいいから
自分自身で歩き始めたい。
自分自身で見つけ出したい。
僕自身の生きる価値を、理由を、存在する意義を
飽きた、と云うことばは完全否定のように見えて、実は親愛の裏返しだったり…することもありますね。ぼくは天の邪鬼で不器用だから、かも知れませんが(笑)
気に入った本は手垢がつくほど…もっと云うと指の先で表紙に穴が空くほど読んだこともあります。いつもポケットに入れているものは変わらないし、毎日同じものを食べていても平気、と云う人間なので…
あれ、話がだんだんずれていっちゃう…
幾千、幾万のひとが歩く街、見る同じ景色でも、これを見つけてこんな風に感じられるのはぼく一人だ!と思っています(笑)少なくとも今、この瞬間に於いて。
逆説的になるけど今、ぼくが生きていると云うこのことがつまり、生きている意味なんじゃないかなって。あれれ、ぐるぐるぐる…
RN.シャア専用ボール
いつも見てくださりありがとうございます。シャアさんの解釈、いつも深くて考えさせられます。私自身も存在する意義を見つけ出せるような光を探しに行きたいです。