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あの日、私がいないという事。

8月6日 午前8時15分 ヒロシマ 原子爆弾投下
あの日、私はそこにいない。
まだ、生まれていない。
初めて原爆ドームに行った、小学校6年の秋。
原爆ドームを見て、全ての時間が止まった。
涙は、、、流れなかった。

テレビで観ている景色より、残酷で、まるで映画のセットのような。
街にビルが立ち並ぶ中そこだけが「異質」だった
砂時計が…止まっている。

まだ幼い私は折り鶴を折るなんて自己満足だ、そんなの折ってもなにも変わらないと思っていた。でも、あれを見た瞬間、全てが変わった。
折り鶴の色とりどりの色がまるで世界を色付けるかのような───
平和の色を創り出すかのような───
そんな風に、私には見えたのだ。


あの日、私がいないという事。
それはまだ幼かった私のような人が
まだまだいるという事。
そして、今の私のように、心を変えるきっかけを
作る事ができるそんな力が私たちにはある事。
多くの時を超えてもまだ、大切に守らなくてはならないものがある事。
そして、人の痛みを自分の痛みのように感じる
その大切さに気づく事なのではないだろうか。





あの日、私がいないという事。
それは核兵器が未だ根絶されないことを悲観する理由にも、あの時を知らないから伝えていく事が出来ないという諦める理由にも、ならないのだという事を知ってほしい。





あの日、私がいないという事。
ただ、それだけで伝えられる言葉が
どこかにあるはずなんだ。
戦争をしてはいけない。核兵器をなくす。
そんな、一見当たり前のことが
時空を超えた今日では当たり前でなかったこと。





その「事実」を貴方に伝えたい。
大切な、、、貴方に

  • 平和の祈りを込めて
  • 私がいない事で、伝えられた言葉たち
  • 大切な、貴方へ捧ぐ
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