「ねえ、ケンくん?」
食べ始めてしばらくした頃、ふとナナミが食べる手を止めた。いつもと同じ笑顔だが、どこかほんの少し翳りが見える。
ケンジは慌てて脂の多い唐揚げをビールと一緒に飲み込んだ。
「っん、どうした?」
「どうしたって...。何か、ないの...?」
上目づかいで訊ねられると参る。何かないの?とはどういう意味だ?あ、そうか、やはり髪のことを何か言った方が良かったのか?いや、しかし今まで何も言わなくとも気にも留めていなかった。別の何かだろうか?...思い当たらない。やはり髪のことか?
「ああ、その髪、似合ってるよ」
「違う、違うのそうじゃなくて忘れたの?」
やはり違ったか。では何だ?本当に思い当たる節がない。まさかメイクを変えたとか...?いや、ナナミはいつもと同じだ。
忘れたの?と言ったな...。何か忘れているか...?いやしかしそんなはずは「今日は一緒に暮らし始めて一ヵ月でしょ」そう、暮らし始めて...ってそこ?!
「そんなことも忘れちゃうなんて...。ケンくんは私のことなんてどうでもいいんだ......」
いや、そんなこと、って言うなら責めないでくれよ...。
一度だけ彼女のスケジュール帳を見たことがあるが、そこには所狭しといくつもの「記念日」が記されてあった。ケンジが知っているものから知らないもの、果ては彼女にすら関係のないものまで(レジにたまたまきたお客さんの結婚記念日とか)。
よほど記念日を気にかけるタイプなんだろうと思っていたがまさかこれほどとはな...。さすがに一ヵ月は祝うには短すぎないか?ケンジは驚きを通り越して呆れてしまった。
初心忘るべからず、という言葉がある。はじめの頃の情熱を忘れるな、とか未熟さがあったことを覚えろ、とか様々な意味合いがあるが、一貫して同じなのは、その当時と今とでは、大小はあれど、必ず変化が生じている、ということだ。
記念日というのは、そういう変化に気づき、忘れないためのもんなんだろうと思う。今までこんなことがあったから、これからもこうしよう、これからはああしよう等と考える機会が必要なのだ。