なんとなーく、ほんとに"なんとなーく"なんですけど、「結果が全て」っていう考え方もそのうちフェードアウトしていきそうな気がします。時代が変われば環境が変わる。環境が変われば人々の考え方が変わる。「結果が全て」の時代においてはそれでよかったと思うんですけど。今は周りの人みんな、優しい人増えてきてると思います。理解のある人増えてきてると思います。周囲に冷酷に突き放される時代はもう終わっていいと思うんですよね。これからは周りの人たちが温かく支える時代になっていくべき。
「だってわかるだろ?」
たとえば、自分的に間違ってるなと思っていることがあったらどこのどの点が間違っていると思うのか自分の考えを伝えたらいいと思うんですよね。なんでもかんでも、ただただ否定したい人たちばかりってわけではないと思うんです。「こうしたらいいんじゃないかな?」って。人々がお互いに協力し合えなかったら、来たるシンギュラリティのAI化の時代生き残れないと思うんです。
授業で「なぜ日本人の自己効力感(根拠のない自信といいますか、自分ができるぞ!と思うこと)が低いか」という問題?議題?がでてきて、そのひとつにやっぱり日本人は結果主義だからじゃないか、って出たんですよね。
そこに疑問を持つ人が出てきたという点では、時代がやっぱり変わってきたんでしょうね。
やっぱり課程も見てもらいたいですもん、子どもも大人も。
レスありがとうございます!
なんていうか、究極に結果に忠実でなければいけないシチュエーションってよくよく考えたらなさそうな気がしてて。
それに、たとえば、サッカーとかでも、試合結果が実は全てではなくて、途中のパス回しとかプレイ内容とか、観てる人を楽しませるっていう目的もある気がしてまして。過程の価値っていうものがだんだん無視できなくなってきてますもんね。