秋というのは不思議な季節だ。温度や気候から言えば、春に近しい存在であるはずなのに、どことなくしっとりと、そして落ち着いた雰囲気を感じる。さしずめ、春は新築の家、秋は年季の入ったログハウスのようなものだろうか。
時間の感じ方も異なるだろう。少なくとも、時間の流れという面から言えば、その速度を実感するのは秋だと、自分は少し思う。冬は忙しさということから、時間の流れというより、時間の消費を感じることが多いかもしれない。このゆったりと落ち着いた時間に身を任せるこの時期こそ、時間の流れというのを認識するのだろう。
そんな折、今日のように雨が降る。夏の荒々しさからは一転して、しとしとと降る秋雨。まさに夏とは真逆の一雨ごとに寒くなっていく、そんな雨だ。まさに、時間の流れを体現しているかのような雨である。
ふと、人の時間というものに思いをはせる。人にとって時間という事物は命と同義だろう。お金よりも時間は重い。今はそうは思えないかもしれないが、単にそう思うのが早いか遅いのかの差でしかない。だが、そんな時間であっても、人にはその時間の流れを楽しむということがある。その行為は一見すると時間の無駄遣い、命の無駄遣いにも思える。だが、時間の流れを肌で感じ、その流れを意識することこそが、人間の時間というのものの濃密さを作るのではないか、自分はそう思う。時間は平等だ。誰もが1日は24時間しか持てない。しかし、その時間を単に消費するということだけでなく、その時間をより濃密にすることで、間接的にその時間を延ばすことはできる。錯覚かもしれないが。
そんなことを考えつつ、秋の程よい長さの日は暮れていく。