無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡る。ばしゃんと下品な水柱を立てて青の舞台へ入場した僕の身体は、彼女から貰ったあれやそれで一杯のリュックを重りにみるみる沈んでいく。
ソーダのグラスに鎮座する氷には、すべてがこんな風に見えているのか。歪んだ月光で満ちた水面にそんなことを思う。美しさを言葉に昇華させたくなるのは、物語を作る者だけが患うことの出来る病だ。──病人で在ることを辞められなかったばかりに、彼女を失ってしまったわけだが。
孵る気配のないたまご作家の廃棄を決行した彼女は今、別の男と誓いのキスを交わしている。いかにも金を持っていそうな面をした、いけ好かない野郎だった。今日をもって正式に夫婦となる奴らめのお陰で、僕はこれからこの世界から居なくなるのだ。
穏やかに最低な気分だ。吐いた溜め息は星のような丸に形をなし、届くはずもない夜空へ向かって昇っていく。のを、眺めていた、ら。どぶんと鈍い入場曲と共に、大きな花のようなものが落ちてくる。とうに感覚のない両腕でどうにか受け止めたそれは、──ドレスを身にまとった『何か』だった。
性別は女であろう『何か』は短刀を握り締めていて、人と魚との間をさ迷いながら、煌びやかな布の中でしゅわしゅわと溶けていく。この世のものとは思えない光景だから、此処はもうこの世ではないのだろう。ふっと笑ってしまったのが伝わったのか、胸に抱いた『何か』は不思議そうに僕を見やる。
ごめんね、なんだか、愛しくて。声は音になんかなりやしなかったが、彼女と似た色の瞳にそう言った。下がる眦はますます彼女に似ている。さよならのない世界へ生まれ直して、また会おう。鼓膜に響いた甘い夢がどちらの唇から零れたものなのかは、もう分からなかった。
無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡って、──瞼を閉じる。次に目が覚めたとき、きっと僕はあの話を完成させている。泡沫に塗れたこの景色を言葉に昇華させて、彼女に読ませてやれたら。
幕を引いていく意識の中、抜けるような真珠の爪先だけが泣きそうに鮮烈だった。
この詩、好き。
きれいにできてると思います。なんと言うか、詩に形があると言うか。こういう本歌取り、好きです。
memento moriさん、レスをありがとうございます。入れたいものを全部詰めたらえらいボリュームになりました。好いてもらえて良かった。嬉しいです。