僕は「死」です。全ての命あるものに等しく僕の欠片を分け与え、その命を終わらせるのが僕の仕事です。
私は「生」です。みんなを生かして未来を作るのが仕事です。
「生」という奴は、何とも残酷です。苦しいばかりの命を、生きているもの達に強要しているのですから。
「死」は、余りにも野蛮です。楽しい生を無理矢理終わらせて、みんなから未来を奪ってしまうのですから。
大体、僕は悪いものじゃないんですよ。もしも僕が居なければ、この世は生き物でいっぱいになって、狭っ苦しくなっていたでしょうに。
ありとある生き物たちは、生きることによって喜びを得て然るべきなのです。あんな奴、恐怖の対象にしかならないのに。
タロットカードの「死」だって、再生を暗示する良いカードだというのに。何故僕を否定するの?
神の作り給うた身体と命、何故みんなもっと大事にしてくれないの?
まあ、「生」あってこその僕だから、あいつには居てもらわなくちゃ困るんだけど。
まあ、「死」あってこそ私がより尊く思われるわけなので、別にあれに居なくなってほしいわけではないのですが。
ご参加ありがとうございます。
「生」と「死」の人格化。とても面白いアイディアな上に作り方もとても上手で、感動というか、「うわすげえ」ってなりました(笑)。生と死というのは一番わかりやすい「対」の一つです。もしそれぞれが人格を持ったなら、このように自分の良さを主張し、喧嘩になることだってあるでしょう。しかしそれは彼らが真に対極にいるからではなく、例えば兄弟のような、命に関して共通した部分があるからこその相互依存的な関係なのではないでしょうか。この詩は「生」と「死」、それぞれの大切さを、もう一度深く考えさせてくれます。