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 人は想像力があるゆえに絶望する。希望はどうだろうか、希望もやはり、想像力の産物だろう。だが絶望を凌駕する希望を持つには、想像力だけでは足りない気がする。一時期、宗教にすがるということも考えたことがあるが、宗教をまるごと受け入れる純粋さはもはやないとあきらめた。情報社会に生きる現代人は想像力が多岐にわたっているため、宗教を受け入れる単純な想像力を失ってしまっているのだ。だがしかし████████████████████████████。
 受動意識仮説というのがある。すべては記憶が作り出した無意識が処理をしていて、意識はその結果を受け取っているにすぎないという説だ。では意識は何のためにあるのか。意識は記憶の補助装置なのだという。それならば意識が無意識の暴走を抑制することができるのではないか。意識化され、まとめられた情報を無意識に送ることで無意識も変わる。意識と無意識は相互に作用することによって成立しているのだ。自己欺瞞することなく、██████████████████████████████████████████████████████ていれば素晴らしい人生を送ることができるだろう。

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