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思うという浄化

時間は

川のように止まることなく、流れるままで
海のように大きく、深く、どこまでも続き
湖のように静かに漂う。

流動性を持ち、干渉を拒み、拘束を嫌う。

その「時の水」は、
自分の中にある森から生成され流れてゆく。
感情や経験、思い出という名の雨が
主観的な思考という森に降り注いで
知識や生活という地層に濾過され
再び流れて行く。

川となり自分の生き方を定めるもの
海となり自分の心を決めるもの
湖となり自分の思考を溜めるもの
それぞれに別れていく。

だが、その水は不純になる。
ストレスや不条理という
負の経験と感情によってもたらされる汚れは
水を淀ませ、くすませ、忽ち滞らせる。
歳を取ればとるほど、時が流れれば流れるほど
自分の中に流れる水は汚れていく。
森となる木々も折れることもあるだろう。
地となる土砂も崩れることもあるだろう。
その災難が降りかかることで
無垢であった幼少期と比べれれば
青年期の水は目を疑う程汚れている。
その汚れは、完全に除くことは出来ない。

しかし、時に発散という浄化をしないと
自分の中にある水は汚れて腐ってしまう。
また、愛することで森が戻ったり
新しい命を息吹かせることも出来る。
愛があるうちはまだまだ綺麗でいられる。

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