言葉に必然性はなくて
言葉は人間が作り上げたもので
言葉はいくらでも作り変えられる
はずなのに動かし様のない崇高なものだと錯覚し
逆に人間を束縛し支配する
秩序を創造する機能から
ものを指し示すだけの道具へなりさがる
ゆえに私は
沈黙する言葉であってほしくて
語る絵画であってほしいと思うのです
詩をかくときにあれこれ探すものであるのと同時に、即興性の試される話すときにも使っているものだから、きちんと見つめなおさないといけないなと じっくり読ませていただきました。
記号化した言葉に縛られたりすることもあるけど、それから解き放ってくれるのも言葉であったり。
最後の、沈黙する言葉であって 語る絵画である っていいな、と^ ^
誰かの言葉でやっと認識できるようになるわたしの現実もあるのだと 改めて肝に銘じてゆきます^ ^
その微笑みと
その泪が
私には最も言葉だ
……投稿しようとしてボツになった詩の、最後の一節です。因みに僕は、言葉の本質ってなんだろう?と考えたとき「伝わった意思」のことだと思いました。着飾った言葉でなく素朴な思いだと。だから、沈黙する言葉や語る絵画は、それこそ僕にとって言葉です。……うまくまとめらんないけど。
しゃちさん》
言葉は、大切にされるべきものだと思っています(すべき、なんて表現はあまり好きではないですが…汗)。
言葉って時として便利なのですが、その便利さに傾倒してしまいがちだなとも思っていて。
言語学が個人的に好きなのですが、ソシュールや、彼を日本へ輸入した日本の言語哲学者の文章を読み、突発的に思ったことをつらつらと…。
少しでも言葉について考えてもらえると、言葉が好きな私としてはとても嬉しいことです(*^^*)
黒鴉 白鶴さん》
うまくまとめられない、それも言葉です。
本当に何か感銘を受けたとき、琴線に触れたとき、当てはまる言葉を見つけられないことがありました。感嘆詞ばかり並べてしまう。それこそ、言葉だと思うんです。
ただの記号ではなく、言葉では表せないことさえ言葉で表せてしまう。これが言葉の凄さです。とても逆説的だけれど、伝わるかしら…。