あの時は自分が保育園に通ってた最後の年だった。迎えに来た母は、何故か分からないがずっと先生と話をしていた。思い出せば、そのときに「地震」と「津波」というフレーズが行き交っていたのは覚えてる。
家に帰り、毎日のようにNHKのEテレをつけたらなんだか見慣れない日本地図に、赤と白の線が入った小さい図が出ていた。その頃は、津波が日本に来ているともわからずテレビを観ていた。
ふとした瞬間母は、テレビを1チャンネルに変えNHKニュースにした。
妹が「何でチャンネル変えるの?」と言っていた。
母は、「お願い今日だけ観させて。あなた達にも知ってほしいから。」って言っていた。
なぜ変えられたのかはまだ分からなくでも、母にチャンネルを変えてと言えるような雰囲気ではなかった。
それから、母がいろんなチャンネルを忙しく行き来しているとNHKニュースから津波の予想到達時刻と、津波の大きさが出ていた。
母は、「こんな時にもテレQ(7チャンネル)はこんな番組流して」と言っていた記憶がある。
そんなことを言っていると、いつの間にかヘリコプターのうるさい音と、アナウンサーの少し落ち着きの無い声と、とある県の上空の映像に変わっていた。
それから数分すると、海というところから海水が道路に入って行く様子が映っていた。
自分の知ってる海は、有明海ぐらいしか知らなく、海にも連れて行ってもらったことが、まだなかったので、干潟ではない普通の海水がある海がとても珍しく、黙って映像を観ていた。
そんなことを思っている間、母と娘は、津波のことについて話をしていたが自分には理解が難しかった。いつの間にかテレビは津波が押し寄せる映像に変わっていて、主に木が沢山流されていてこんなにゴミが流されている風景に唖然としていた。
それから、夜ご飯を食べ終えまだニュースが流れてる中僕は眠くなり眠りに着きました。
そんなことを覚えています。