3/11の時、私はその時は中学生でした。あの時は自分のことで一杯で、何もわかっていませんでした。あの日、お昼すぎにテレビをつけたとき、迫ってくる黒色の津波。それを見て、何が起こっていたのかわからず、ただ呆然とテレビを見ていたのを覚えています。
きっと、テレビ越しであんな何も考える事ができなくなるほどだったのに、実際のその場に居合わせていた人たちは。そのことを思うと今も言葉が出ません。
しかし、日を追うごとにテレビなどの報道も薄れ、私は人が培ってきたそのすべての事が揺らいでしまった、あの出来事をどこか遠くのことと、心の隅では思っていてしまいました。
数年経って、故郷を出て、暮らし始めていた時、自分の生まれ育った熊本でも地震が起き、初めて他人事ではなく、いつ起こるかわからない。そして、絶対起きないなんてない。身近な出来事だったんだと思い知らされました。
実家に一ヶ月後に急いで車で帰ったとき、故郷の変わり果てた姿に、何も言葉はでませんでした。きっと、東日本大震災のとき、被災地の人たちはこれ以上のとてつもない絶望や。苦しみがあったんだ。と。
先日。今住んでいる岐阜でも少し大きな地震があり、どうしたらいいのか冷静になんてなれませんでした。
経験しないとわからないこと。きっと熊本や東日本大震災はこれ以上の揺れだったわけですから、私の想像しているより遥かにその場にいた人たちはパニックになり、どうしたらいいのかわからない状況の中で必死に逃げ、生き延びてくださって今少しずつ復興へと歩んでいるんですね。
本当に自分の意識の低さを痛感しましたし、今でも被災された方にどう言葉をかけたらいいのか、むしろこんな考えていた私に言葉をかける権利があるのかわかりません。実に無力だとおもいます。
本当に被災された皆様。今でも避難の生活を余儀なくされていらっしゃる方もいると思います。。
一日でも少しずつでも、笑顔が戻れることを、お祈りしています。