今日で8年。今、君は何を思うか。
まず、今日という1日を振り返ってみてほしい。この日は、特に今生きている日本人にとって、頑張って生きなきゃいけない日だった。そして、今日感じたことを、考えたことを心に刻み前に進んでいかなければならない、今日からまた1年後に向けたスタートの日だった。さぁ、どうだっただろうか。
僕は高台に住んでいたからこうして生きる使命を得ることができているが、この日のことは今でも忘れられない、忘れられるはずがない。この日の、薄赤くいっそう陰惨な雲の下、真夜中に光続ける気仙沼の石油コンビナートの火。気仙沼から100キロを超える場所からも見えた。その時、僕は小学3年生で感受性もまだ豊かとはいえない年齢ではあったが衝撃的で、今までの光とは何か違う、黒ずんだ赤い炎に見えて仕方がなかった。そして、ラジオ、電気が復活してからはテレビで震災の情報を得て、映像で見たときには悲惨過ぎた。ごめんなさい、小学3年生の僕はとても呑気に生きていた。場所も場所で、両親や自衛隊の方の食料や水の配布など苦しい生活を強いられてはいなかった。だから、正直、上辺だけだった。
そのような薄い日々を過ごしていた僕も中学生になると、恩師に出会った。野球部の監督だ。監督は日々、信念を持ち、物事の本質を追求していた。そして、毎年、3月10日になると生徒を集めてある話をしてくれた。「明日は、今生きている人にとって、一番頑張って生きなければならない日なんだ。俺だって、できるなら、実際に現地に行って復旧そして、復興の手伝いをしたい。だけど、それは俺にはできない。君たちだってそうだ。だから、どうするのか。頑張るんだ。一年に頑張る日はそうそうないけど、明日がその日。思うだけじゃだめだ。君たちが、学生という立場で何ができるのか、考えて行動に移すんだ。そうしないと、生きている価値はない。」と。それから、僕は毎日恩師の言葉を思い出し、度々、今日のように文を綴ったり、その年齢でその日に感じられたことを留めるようにしている。
今日、僕は何ができただろうか。今日という特別な日に何を感じ、何を思い、何をしたかが、これからの未来の豊かさを決めていく。日本の未来を語る前に、今の自分を、想像されうる未来を今日、自分で考えてみてほしい。