なんで道徳の授業のテーマって「命」とか「生きる」が多いんだろう。
そんなの考えさせたって正解はでないに決まってるのに。
考えはひとによって違うし、必ずしも先生や学校や教育委員会と同じになるわけじゃないんだよ。みんなが同じ考えじゃないんだよ。
一緒にしないで。押し付けないで。
私はあなたたちの考えを否定しない。だって間違ってないし、「世間一般的」だから。
だけど、私とは違う。違うことを否定しないで。別に死にたいなんて言ってない。ただ、「命」も「生きる」もわからない。私がそれらを決めつけることはできない。あなたたちにもできない。誰にもできない。
なのになんで「世間一般的」ってあるのかな?多くのひとが同じことを考えてるの?本当に?
わからない。
ただひとつだけわかっていることは、「命」も「生きる」も授業で考えられるようなことじゃないってこと。そんなに軽いことじゃない。
きっと一生かけて考えてもわからない。
※ここでの「あなたたち」は、先生とか学校とか教育委員会とか、そういう大人のことです。
それもあるけど、この先、いじめやぎゃくたいのない皆でいてほしいっていう意味もあるんだって。之には正解とか間違いはない。みんなそれぞれの意見が正解だ。っと道徳の先生は前に行ってた
「命」とか「生きる」を考えるのが道徳だからね~。
確かに、意見を押し付けるのはよくないね。
正解なんて誰にも決められないんだし。
だけど、授業でやらないと考えることもしない人がいるから、授業でやるんじゃないかな?
答えを出すためでも、意見を一致させるためでもなく、ただ考えるきっかけを与えるだけだと思うよ。道徳の授業の意味は。
例えば、ストレスで辛いときは人を傷つけてもいいのかって考えるときに、「いい」理由も「ダメ」の理由も、理解できるけど、ダメだよね。
それが一般論なだけじゃないかな。
今は道徳にも評価つけてるみたいだけど、私は反対だね。
私のときはそうじゃなかったから、時代は変わったな、私も年取ったなぁって思うよ(笑)