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先輩

 いくら自然が好きだといっても鬱蒼としたジャングルのなかに身を置きたい人間はいない。
 現代人が最も好むのは人間のコントロール下にある自然。つまり人工的な自然なのだ。
 田舎の山奥によくある緑のなかにぽつんとたたずむ廃墟と化したドライブイン。こうした人工物がなぜ普通の人工物より悲しく感じられるかというと──もちろん自然とのコントラストから来る視覚的インパクトのせいもあるが──人は自然との競合に負けてしまうということを象徴しているからである。
 そんな人間も自然の一部なわけだが、一般的には自然と人間は分けて考えられている。もちろんこれは単なる定義の問題だ。何をもって人は自然を自然と認識するのか。いや、ばかばかしい問題提起だ。結論から言うと人間は自然のヒエラルキーの最下位にある。適当なピラミッドを即席で描いてみると、トップに来るのが気象、地殻変動、次が植物、次が人間以外の動物か、これは地球の誕生からの歴史を当てはめているわけではない。人間が畏怖する順のヒエラルキーだ。バクテリアを畏怖する人間はそうはいない。人間が自然と日常的に意識しているのは自然の先輩のことなのだ。
 いちいち先輩づらするしょうもないやからに辟易している人もこの時期多いかと思うが、先輩づらされたときは思い出してほしい。どうあがいても自然という先輩にかなう奴はいないのだということを。

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