ならば一体どうして。そう問うてみるも、答えが出てくるはずもなく。次第に全て夢だったんだとさえ思えてくる。
いや、実際そうだったのだ。神託の言葉も、いつかどこかで聞いた律文詩を思い出して勘違いしているだけだろう。何を言っているんだ。デュナの神託だなんて。ついに変な思い込みに走るほど精神が参ってしまったか。もしそうだとしたら、そう思うとますます夢のことなど頭のうちから消えていった。
ネロは体を起こすと、あぐらを組んで背を伸ばし、目を閉じた。足の先から踵、くるぶし、足首から脛、ふくらはぎ、膝、膝裏、太ももを上がって腰、背骨を通って首から頭の頂まで、ゆっくりと水のようなものが満たされていく感覚をイメージする。全神経を研ぎ澄まし、太陽が動く音さえ聞き逃さない。静寂は次第に騒音と化し、そして再び静まっていく。次第に全身がゆっくりと沈んでいく感覚を覚える。すっかり軽くなった体重は何倍にも膨れ上がり、石の床にめり込んで、潜っていく。
幼い頃、師に教わった『心の洗浄』だ。ネロの「師」の口癖は、常に心を清く保て、だった。何者にも支配されない、自分だけの世界。体は奪えても心まで奪うことの出来ないものなど恐れるに値しない、と。
少しずつ体全体が微動し始めるのに身を任せ、ネロは静寂を聞き続けた。
ガンガンガン。ガンガンガン。
「...No.2。客人だ」
格子を叩く音に、ネロははっと目を開けた。あれからどれくらいこうして座っていただろうか。足の感覚はすっかりなくなっている。
「お前に会いたいものがおるそうだ。支度しろ」
...俺に会いたい人?一体誰のことだ。俺にはもう知り合いなんていない。......生きているヤツには。
なぜ俺のことを知ってるんだ。それともよっぽどの物好きか、潜伏している右翼の思想犯か。いずれにせよ、看守を待たすのも不憫だ。痺れる足を引きずり、ネロは身支度を始めた。