友達に声掛けられるまでは、自分の中で、
「今日のスカートは久々に丈が短くて、そわそわするなぁ。いつも落ち着いた丈の長さだったからなあ。以前は短くてもそわそわしなかったのに。こんな思いするなら夕方出掛けるときは着替えよっ」とか思ってたのに、友達に話しかけられてから、自分の中で話してたことと、私が友達に話す言葉があまりにも差がありすぎて、いつもテンション上げていきたいのに、ひとりになると、独りよがりで内気な思考になっちゃうのがもったいないと思った。
それに比べて、大学で私の気になる人は、スケールが大きくて、器が大きく見える。性別の違いもあるけど、でもとても立派な人に見える。
立派な人に見える、だけで、じつは苦労や努力、もちろんへぼな部分もあるのだろうと思うけど。
私は、その人と比べて劣等とかは感じなくて、むしろ憧れとかだから、後ろで静かにそっと眺めてるだけで、尊敬の眼差しだけでしずかに満たされる感じ。すごいなぁ…とひとりで感嘆してるかんじ。
完璧超人に見えるんだけど、きっと底知れない努力と、没頭するものへの愛情と、そういうエネルギーが凄いと思う。だから、「彼は天才だから。神童だから。」で終わらせたらむしろ失礼だと感じる。じゃあどうすればいいのか、素直に尊敬を示したらいいのだと思う。
ただ、私は普段から軽く圧倒されそうで、でも話かけたい自分もいて、話しかけられるとその人も嬉しいだろうって思う。(最近、話しかけられることの嬉しさを感じることが多々あるから、自分も話かけたいって思うようになったの。)
私の周りは女子が多い環境で、少しは男子もいるんだけど、女子どおしの考え方や、雰囲気に慣れちゃって、男子ってどんなんだっけ?と思って、ある人に話しかけたら全然感覚違った。(目上の男の人には話しかける機会あるけど、同年代の大学生はほとんど皆無だなあとふと思ったの。)
やっぱり性別の違いって面白い。全然考え方違うし、私はこんなにも考えている生きているけど、同じ時間にまったく違う考え方で、生きていて、それがおもしろそうだし、知りたいし、意見交換とかしたいし。哲学てきなこととか。
わたしには、話かけたい人が沢山いる。その存在に圧倒されて、私自身がひるまないように、すべての時間を楽しんで、私自身の人生も豊かにしたい。となりの人が考えてることを知れるって楽しいなぁ。