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こじらせ長女

両親も弟も私も健康で、ちゃんとした家に住んでいて、それなりに遊んだりもできて。世界中を見渡して見れば、私はなんて恵まれてるんだろうって思う。やりたいこともある、行きたい大学のために浪人だってさせてもらえてる。親には感謝してもしきれない。
でもやっぱ、長女として生まれてきて、時々胸がはち切れそうなくらいしんどくなることがある。さっき、疲れたからもう寝るね、ってママに言ったの。そっかおやすみ、って言ってくれればそれでよかった。ママも疲れた、って言われた。まるで私が何も手伝わないからママだけこんなに疲れたの、って言われてるみたいで悲しくなった。確かにママは、朝から洗濯して昼は働いて帰ってきたら夕飯を作ってくれる。私の何倍も私たちのために動いてくれてる。そんなすごいこと普通できないし本当に感謝してる。だけど私は学生だから家にいたとしても宿題がある。私は今日それを一生懸命やって疲れたんだ。
それに、弟は反抗期気味だからって、ずっと動画見てゴロゴロしてるだけじゃない。弟が家事を手伝わなくても怒らないじゃん。男の子だから?私が女だからこんなに意味わかんないくらいいろんなことに気を使わなきゃいけないの?呑気な弟の笑い声を聞くとただただイライラする。
その上両親は不仲。今は父が単身赴任中だからまだ楽だけど、2人が家に揃うと私は母の味方にならなきゃいけない。その方が楽にいれるから。でも本当は父のことも好きだし、もっといろんなこと話したいし、聞いてほしいし、教えてほしい。幼稚園の時とかからずっと、無意識にこんなことばかり考えてた。私が誰に味方するかによってこの人たちはバランスが取れなくなってしまうって思った。みんな頭おかしいけど、バラバラになっちゃうのは嫌だった。でももう私がバラバラになっちゃいそうだ。
こんなこと、実際には言えない。布団かお風呂で声を潜めて泣いて、泣き跡がばれないようによく目の周りを揉んで、何も考えてないみたいに過ごす。声を上げられない私が悪いのかもしれないって思ったりもするし実際そうかもしれない。私が我慢するとみんなそのことに気付かないんだよね。なんかごめんって感じだ。

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  • わたしの好きな小説家、島本理生さんの代表作、「ナラタージュ」にこんな文があります。
    「君よりも苦労して頑張っている人がいるんだから君もがんばれ、なんて言葉は無意味で、個人の状況を踏まえずに相対化した幸福にはなんの意味もない。」
    と。
    誰かと苦しさを比べていくのはちょっと違うんじゃないかということだと思います。

  • 私も浪人してます。
    親との関係って大きいですよね。
    私はほぼ毎日、片道、車で20分、電車で1時間かけて、仙台まで通ってます。
    親との関係に疲れるから、寮に入れば良かったかなと思いつつ…