不登校のとき、というか、学校に行ったりいかなかったりで『健康優良児ではないが、不登校でもない』というような微妙な状態だったとき。
休むのか、行くのか、遅刻するのか。早退するのかしないのか。そういう決断を迫られることが多々ありました。
そういう時、決まって「どっちでもいいよ」と優しく言われました。
そう言っている大人たちとしては、『学校に参加できるならしてほしいし、でも休んじゃって構わないよ』という意味を込めていて、実質8割休んで良かったんだと思います。
でも、今になって思うのは、いっそ有無を言わさず休ませて欲しかったな、ということなんです。
辛い時に、決断を迫られる『これからどうするか考えないといけない状態』はすごくエネルギーを消耗します。それが例え1分先のことなんだとしても。
それに、『学校に行っていない/参加できない』自分がすごく悪い奴なんだと思うことも多々あります。加えて、苦しい渦中にいる時は、仕方のないことだと割り切るのも難しい。だから、どうしても『行かないといけないor行きたくない』で悩むことになります。
ここで苦しむのが本当に辛い。
だから「休んで」って言ってほしいんです。
むしろ強めに「休め」と言ってほしい。自分の中に『学校に行かないといけない』という強迫めいた考え方がずっと棲んでいるから。
そんな私の不登校記「どっちでもいいよ」編でした。
そんな状態なら休みましょ
主導権は常にささみさんにありますから
後8割休んじゃっていいよ
だったらなんで休まなかったんですか?
その辺がめっちゃ知りたいです
いいよー はーい
でも別に何も悪くないですよ
なんならお前休むな
いいえ 休みます
でも何も悪くないですよ
だってささみさんの心が健康じゃない方がよっぽど悪いからですよ
自分最優先でいいんですよ
自分のことも優先できない人がなんで誰かを優先してあげれるんですか
って僕思ってるので
後タグに元気に無職ですってあるんで
元気に無職を楽しみましょ
レスありがとうございます
長文ありがとうございました
お話良く分かりました
自分のことは意外と自分じゃ分からない
みたいな所もあるんですかね
過去は向き合うべき課題でなく活かすべき教訓
と思って いくといいと思います
ささみさんのこれからが少しでも良いものになりますように祈ってます