僕は8年前、スクールオブロックに入学し、それから1年半程で自主退学しました。入学とか退学という概念があるのかは分かりませんが、、たまたまトラックで流れた校長の声を懐かしんでいたら退任するというような話をしていたのでびっくりしました。当時恥ずかしがり屋で、掲示板に書きたいことも書けなかった僕ですが、8年の時を経て、今更ですが校長に感謝の言葉を届けたいです。いつか目を通してくれたら幸いです。 始まりは町内会でのビンゴ大会でラジオが当たった事からでした。今思えばチープで使い勝手の悪いラジオでしたが、ビンゴ係のおっさんから手渡された時、胸が踊るようだったのを覚えています。しかし家に持ち帰ってからというもの使い方が分からずしばらくゴキブリのような光を放つ黒光りラジオと睨み合いをきかせていました。2日間の攻防の末、僕にとって人生のターニングポイントと言ってもいい運命の火曜日。周波数を手探りで合わせ、ノイズがだんだんとクリアな人の声になっていくあの興奮は今でも忘れません。僕の初出席授業はベボベロックスでした。正直どんな授業をしていたかとかは覚えていません。でもとてつもなく楽しくて、その日はずっとベボベ先生の音楽を聴き続けていたと思います。それまで聴いていた音楽といえば父親が狂ったように聴いていた浜田省吾先生。悲しみは雪のようにの奥深さを理解できぬまま、僕は浜田省吾先生に別れを告げ、ベボベ先生にのめり込みました。僕はあの時自分にとって最高のロックに出会ったのです。もちろん生放送教室も聴いていて当時は吉田教頭の頃。自分と同年代の人達が悩みを告白し、中には泣き出してしまう人もいた。でも校長教頭は真剣に耳を傾けていて、僕も今いじめられている状況を聞いてもらえたら、、いやでも恥ずかしいしそんな勇気ねーよ、、、くすぶりながら1年が経つ頃、僕は僕をいじめていたグループと共に盛大にグレて、青春を謳歌していました。檸檬が弾けるどころの騒ぎではありませんでした。この頃に僕はスクールにもスクールオブロックにも通わなくなり、ベボベ先生からも離れ、友達の家の車庫でAK69先生を聴いていました。