9年前は小学1年生だった。
家に帰って、テレビをつけるとニュースばかり。普段やってる番組は全部無くなって、延々と同じ映像が流れた。その時はあまりわからなかった。東北がどんな状況にあるのか。今東北にいる人がどんなことを感じていたのか。
4年前の4月14日、大きな地震を感じた。当たり前が当たり前でなくなった。当たり前が幸せだったことを知った。ずっと前に知ったはずなのに。知っていたはずなのに。
そんな時に平気で嘘をつく人の醜さを知った。
「大丈夫?」そう言ってくれる人、自分だって大変なのに気にかけてくれる人の温かさを知った。
面と向かって誰かと笑い合えること、中身のないくだらない話ができることがいかに幸せか。
また忘れかけていた。知ってるはずなのに。4年前に身を持って知ったはずなのに。
支えあって生きていかなきゃならない。誰もがわかってるはずなのに、今回はうまくいかなかった。情報は錯綜し、何が本当かもわからなくなった。
前例のないことだから、なにもわからなくて当たり前である。でも、今まであったいろんな事から何回も学んでることがあるはずだ。
何で同じことを繰り返した?
人という生き物のなかで一番わからない生き物の事も、当たり前という幸せの事も、僕たちは何度も学び、忘れ、また学んでいく。
この混乱から卒業のとき、すなわち、抜け出すとき、大切な人とまた、笑い合えるように。
どんな昨日さえもあってよかったと讃え合おう。呆れるほど。
そんなことを考えた、2020年3月11日。
今日はまだ、家の中で、ラジオを聴いて、スピーカーの向こうの校長と、スマホの向こうのたくさんの生徒のみんなと笑おうじゃないか!