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今おもうこと。

今日は、春愁を歌ってくださってありがとうございました。大森先生の気持ちがこもった春愁は、とても心に深く響いて、細胞にまで染みわたるような気がしました。

私は高校2年生なので、卒業式に直接関係がある訳ではないですが、部活の引退の演奏会が無くなってしまいました。この演奏会のためだけに曲をみんなで練習してきて、この5年間の集大成として披露し、引退。とけじめをつけるはずの演奏会が無くなってしまった事は、とてもやらせない気持ちでした。
今まで引退されていった憧れの先輩方と同じように、あの場所に立って、演奏をして、自分の想いを後輩に伝える事が出来ないなんて、どれだけ呪われているんだろうとさえ思いました。

しかしその後、卒業式も縮小、謝恩会も中止となり、仕方がないのかと少し諦めの気持ちも出てきました。高校を卒業する、という大事なことを邪魔された先輩方はもっと辛く、もちろん自分も辛いけど、今はみんなそういう思いをしているんだと。

でも、友達や周りの声で、自分より何よりも卒業生が可哀想だと言っている声を聞く度に、私は自分が嫌になります。なぜなら、頭では理解していても、やっぱり1番は自分で、自分は人のことより自分を考えていると思わされるからです。
それは、優しいかどうか、とかじゃないと思います。
人間ってそういう生き物で、実はほとんどの人だって本当はそう考えてるかもってことも分かってます。
それでも、自分の醜さを実感させられた時、自分がどうしようもなくダメな人間に思えるんです。
そして、みんなが言う言葉が、どうしても綺麗事に聞こえてしまう時があります。そういう風に感じる自分は、やはりもっと嫌いです。

こうして書いたのも、今、実は同じように考えている人がいるんじゃないかと思うからです。今の雰囲気の中で、自分自分の考えは言いづらいし、言っちゃいけないみたいになっているから、きっと言えないでいると思います。

でも私は、今回の出来事で、何よりも、自分を見つめ直すきっかけをもらったような気がします。まずは自分を愛し自分の醜さを自分の一部として認めてあげること。それができないなら、人を想う事なんて本当は出来ていないと思いました。みんなみたいに、まだ、前をむいて!とか抱負には程遠いけど、それでも自分にとっては大事なステップだと思うのです。

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