窓も開けていないのに
聞こえてくる
屋根をコンクリートを車を
ただひたすらに叩き続ける音が
今日は神様に話しかけてみたんだ
私をどんな風に作ったの?
私はこれからどんな人になっていくの?
って
私の周りは皆んな私を知らない 私も私を知らない
生まれてから今までお母さんの中に小さな小さな光としてこの世界に誕生日して生命として体をなし自分という存在が意識できた時から今日まで
私は私で居続けて来たのに
誰よりも近しい誰よりも理解者のはずな私が私を知らないのだ
ならいっそ
私を小さな小さな生命という光として母の中に授けたはずの神様なら私を知ってるかもしれないそんな気がして
話しかけてみた
答えは無言のまま地を叩く雨の音だった
思って見れば私が私の1番の理解者だなどと誰が証明できるのか
私を知らないものが証明出来ようはずがない
さらに言えば誰でも自分が自分を1番知ってるだなんて思い込みなのかもしれない
生命としてこの地に生まれて人間にカテゴライズされて言葉を与えられ思考力を与えられた
だから今私は何なのか
などと言えているのだ
言葉もなく思考力もなければこんな瞬間で出会いはしなかった
人は誰も自分という悲しい旅人の理解者を求めてる
そんな人どこにも居ないって本能的に分かってるから自分を自分の理解者と位置づけるという手短な方法を選んでいるだろう
私は私の理解者を求めてる
孤独というものに対する本能的恐怖
それが私を苦しめると同時に
私を私たらしめているのだ