コーヒーを作ったら ミルクを用意して
ついでにコンビニで買ったマフィンをだして
未明におこった事故のニュースを
ぼんやりと見つめる
それが僕のあたりまえ
おさんぽをしたら ちかくの公園で
無邪気に走りまわる子供たちをみて
親に連れられて帰るうしろ姿を見送ると
なにかを懐かしむように
ブランコに乗る
それが僕のあたりまえ
あたりまえがあたりまえじゃないことなんて
ぼくの細胞の六割はわかっている
だからきみがいることや
生きていることだとかを
格好つけてあたりまえにするのではなく
日常のなんでもない2秒間に
感謝をこめて「当たり前」と名付けるのです。