ピンぼけした写真をカメラロールから消すように
世界史のノートにうつしとったあの人の後ろ姿も
消しゴムでこしこししないで指一本で消せるとか
そんな日が來てしまったらって不安に思う僕も今
一体何事何事を頭から消しさっている最中でせう
内田ユキオさん(写真家)も書いていたけど、「写損じはすぐ消去できて便利」はただ便利なだけで、決して豊かなことではないと思います。
なんて云いながらも、電話で撮った写真はやっぱり手軽にぽいぽいと消してしまいます。
年に一回か二回しか使わなくなってしまったけど、趣味のフィルムを入れるカメラは気軽になんでもぱちぱち切れないし、現像→プリントされた写真の扱いも全然違いますね。
時代に埋もれてしまう、お金と手間のかかるやり方は決してただの無駄ではないと思いたいのだけれど。
(先日の続き:教科書の貸し借りはいつもしてたけど、半分こって記憶にないなぁ。)
(小学校の「1号車」で隣の机とくっ付けてた頃まで遡らないと…)
わたしも夏休みしかフィルムのカメラは使ってないです。お店にフィルムをお願いしたり、(ネガを見るのがすきだったり^ ^)消しゴムのこしこしもそうですけど、手間とか無駄と言われるようなものが、案外ぴったり合ってるのかもしれない、なんて思ったり。写真や切りとるものの重みは変わらないはずなのに。
内田さん、初めてききました!(まだまだ世界が狭いです)大切にしたい言葉ですね。
シャアさんの日々にも、すてきな魔法がありますようにー^ ^
(1号車、懐かしいです。中学高校は離島状態なんですけど、教科書を共有したりするときだけくっつけられるのが嬉しいです^ ^)