生きるってなんだろうか。
何のために産まれてきたのだろうか。
自分達はみんな産まれてきた瞬間から「死」に向かって歩んでいる。それが命あるものすべての運命。
自分は1度自らの手で自らの命を絶とうとした。失敗した。地獄を見た。でも、あの日「死」を覚悟した時、自分の心は今までにないくらいに晴れていた。気がする…。今ではもう分からない。
「君が死にたいと言った今日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった今日なんだ」「生きたくても生きられなかった人がいるんだ、その人の分まで」そんな言葉をかけられた事が何度もある。正直、知らねぇよ。って思った。その人が死んだのは私のせいですか?そんなに言うなら心臓でも何でもやるよ。持ってけよ。って。性格悪いな。分かってる。自分が1番分かってる…。
“ジサツ”ってそんなに悪い事なのかな。死ぬほど辛い世界を真っ暗闇の中ひとりぼっちで泣きながら生きる。それが本当に正しい事なのかな。本当に“死”を選ぶ事は間違いなのかな。
自分はその人にその道しかなかったのなら、その道しか思いつかなかったのなら、逃げたとは思わないし、間違ってるとも思わない。“死なないで”なんて無責任な事は言えない。
自分から見たら前途洋々、誰もがうらやむようなルックスに沢山のファン、輝いて見えたあの芸能人の方たちも本当はそうじゃなかったのかな。
校長や教頭にとって“生きる”とはどういう事ですか?“ジサツ”って間違ってると思いますか?
校長や教頭の考えが知りたいです。
「『君が死にたいと言った今日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった今日なんだ』『生きたくても生きられなかった人がいるんだ、その人の分まで』そんな言葉をかけられた事が何度もある。正直、知らねぇよ。って思った。」
→それな。
生きてる意味なんて別に有ろうが無かろうがどっちでもいいんじゃないですかね
意味なんてだいたい後付けでしょうし
そんなの考えるだけ鬱々とするだけなんで
なんとなーく生きてます僕は
意味の無い人生を歩んじゃ行けないルールなんて無いし
犯罪やらなきゃ基本何でも有りのゲームやってると思ってます
なんで私も自分が産まれてきたのか、生きてるのかまだわからない、でも私なりに考えてみるとそれはもしジサツをしたらもうこの世界で生きることはできなくなってしまう
ということは生きていたら経験することのできていたかもしれない幸せも喜びも何も感じることができない、
辛いことばかりが生きていたら続くっていう様に見えてもその中にある少しだけの幸せで喜びを感じるために生きてるのかなぁって思います。
嬉しいことや楽しいことよりも大変なことも多いけどやっぱり嬉しいことって本当に嬉しいしなあ!って最近は考えています