フランスの詩人、ポールヴァレリーの『海辺の墓地』と言う作品のなかに以下のような詩があります。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
直訳すると、
風が吹く、我々は生きようと試みなければならない。
、となるのですが、『風立ちぬ』の作者で知られる堀辰雄は、次のように訳したのです。
風立ちぬ、いざ生きめやも (風がたった、まぁ生きられないだろうけど)
結核を患い、死の淵に立っていた堀辰雄は、一体どのような心境でこの訳を当てたのでしょうか。
東大国文科卒業なので、純粋なミスだと言うことは無いでしょうから、この意訳に情緒を読むか否か、思案のしどころです。皆さんは如何思いますか?
読み取り(?)みたいなのはあまり得意ではないのですが…。日本人の書いた詩でも、病気になった方が書いた詩はネガティブだったり、直接的にその方の気持ちが書いていなくても、風景の描写の仕方に暗さが感じられたりします。堀辰雄さんも同じように、そのまま訳さず、ポールヴァレリーさんの詩を読んで感じたことを訳として書いたのかもしれません。直訳したものと合わせてみると、
風が吹く、我々は生きようと試みなけ
ればならない。まぁ生きられないだろ
うけど。
なんだか一つの作品として出来上がる感じがします。
あるいは、堀辰雄さんがその詩を読んで、そういう詩だと解釈したのかもしれません。
なんだか不思議で、興味が湧きますね!