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夜を零す

濃紺が原稿用紙の束に滲んでいく様をただ他人事のように見ていた。
同じ色の文字列が夜に喰われていく。
そのページを食い尽くすと夜は二ページ目、三ページ目へとどんどん文字を呑み込んでいく。星の屑が散りばめられた深い深い夜空がぬらぬらと灯りを反射して広がっているのは至極美しい。こうして見ていると夜の色は濃紺と言うには少し違うように思う。ひとつの色ではなくいくつもの色が幾重にも重ねられている。色の名前には詳しくないが夜色、とでも呼ぼうか。

空になってしまった瓶を手に取るとぬるりという感触と共に手が汚れた。擦れば擦るほど広がって乾いて取れなくなる。僕の手は夜に染まってしまった。乾いた皮膚の上できらきら、と星が瞬いている。やはり美しい。この塵のような燦めきのひとつひとつに物語があるのかと思うと微弱な頭痛を催す。僕がこの手から洗い流してしまえば星はすぐに死ぬ。いや、もしかしたら排水管を伝って下水道に流れ海に辿り着くのかもしれない。

せっせと書いた物語は一瞬で呑み込まれてしまった。しかし不思議と何とも思わなかった。僕の喉は ああ、と無意味な有声音と無声音の狭間の音を小さく漏らすだけだった。
窓の外を見ればもう日没までに残された時間は少ないことが分かった。もう間に合わない、瞬時にそう悟る。

今日は夜が来ない。

人々は慌てふためくだろう。夜が来ない、そう騒ぎ立て面白がる者、気をおかしくする者、恐れ慄く者、目に浮かぶようだ。
そんなに夜が欲しいのならば瓶ごと夜をぶちまけてやっても良いがそれではあと何百年かは夜が明けなくなってしまう。
どうしてこうも毎日毎日綴らなくてはならないのか。遅れることも休むことも赦されない。疲れるが仕事をしなければ人が困るのだ。しかし今日はもう仕方がない。
夜に染まった原稿用紙をぐしゃりと丸めてゴミ箱に捨てる。

そのあと僕は戸棚から新しい瓶を取り出してその中にふらふらと浮かんでいる銀河をしばらく見つめ、眠りについた。

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