「誰の許しを得てこの糸を登っている!この糸は俺のものだ!下りろ下りろ!」
カンダタがそう叫んだ瞬間、カンダタが居た場所の、ほんの僅かに上の所が、プツッと切れてしまった。
数瞬静止したような感覚の直後、彼らの身体の動作は、重力に従って落下運動に転換していく。
しかし、その数瞬があれば、充分だった。
落下しながらも、糸をものすごい勢いで登ってくるものがいる。名も無き罪人の一人だ。カンダタと一瞬目が合う。それだけで、彼らは互いの意図を理解した。
「俺を踏み台にしろォッ!」
カンダタが叫ぶ。罪人はその言葉に従うように、カンダタの肩を強く踏む。カンダタの肩に、針山に突き刺さるかのような激痛が走る。しかし、カンダタはそれにひたすら耐え、己の役割を全うせんとする。
罪人がカンダタの肩を足場に、登ってきた勢いのまま跳び上がった。その手が、上に残っていた糸を辛うじて掴む。
「ッ………!」
罪人が下に向けて手を伸ばす。しかし、カンダタはもう、その手に届かない程落下していた。
「…………!」
罪人の表情が悲哀と後悔に染まる。自分は、自分を助けてくれた男を文字通り踏み台にして、結局裏切ってしまった卑怯者なのだ、という思考が脳内を支配し始め、糸を掴む手が緩みそうになる。
その瞬間、足に突然質量をかけられ、慌てて手に力を込め直す。
「………!……ッ、………!」
罪人がその顔に喜びの表情を浮かべ見下ろした先には、彼の足、踝の辺りをどうにか掴んでぶら下がる、カンダタの不敵な笑みがあった。
「……!…、ッ………、……!」
「よくやったぞ、罪人!お前は他の奴と違ってなかなか根性がある。しかもあの一瞬で俺と同じことを考えていた。上に行こうという、ただそのことを。ただ俺のおこぼれに与ろうとするだけの怠け者な他の奴など知ったことでは無いが、お前は気に入った!お前の事は極楽浄土で思う存分使ってやる!」
「…………!」
罪人は、そう憎まれ口を叩きながらも、空いたもう片手で、しっかりと他の罪人がまだ取り付いている蜘蛛の糸を掴んでいるカンダタを見て、喉の働きを失い話すこと能わぬ口で、誰に言うでもなく呟いた。
自分はこの男について行こう、それが極楽浄土だろうと、この惨たらしい地獄だろうと。