大森先生こんばんは。
先日のJK語の話を聞いて自分なりに考えてみたのですが、その場のフィーリングをすぐに共有したいという思いから造られた言葉なんじゃないかと思いました。その情景だったり魅力だったりよりも、どんな雰囲気を感じ取ったかを瞬間に共有することが目的な気がします。それ故に、軽く聞こえてしまうし、一瞬にして消えてしまいます。そして、次から次へと造られては廃れていく。これが良い事か悪い事かなんて分かりませんが、言葉の簡単さからモヤモヤする気持ちもよく分かります。その造語力に頼りすぎてしまえば、今まで培われてきた日本語が消えてしまう気がして寂しい気持ちになります。
自分も「やばい」とか「エモい」「ぴえん」などのJK語を使うことはありますが、自分の伝えたいことをより正確に言う努力を忘れてはいけないなと思いました。
いつも考えさせられる授業をしてくださりありがとうございます!毎週楽しみにしています!