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霧の魔法譚 #14 2/2

シオンは一冊の本を取り出し、頁をぱらぱらとめくっていく。本は途中まで文字がびっしりと並んでいたが、ある頁から本文だけが抜け落ちたように何も書かれていない。その文字と空白の境目の頁を見つけ出し、そこに手を置く。頁の端がはたはたと音を立てている。
目を閉じ、深く深呼吸をする。吸い込んだ空気から霧の湿っぽい匂いをしっかりと感じ取って、自分が霧の中に存在していることを確認する。耳には相変わらず風切り音が鳴り響き、シャットアウトした視覚からは何の情報もなく、代わりに本に触れている手に感覚を集中させる。本の形や大きさなどを確認していき、それを記憶していく。
記憶した本を暗闇の中に描き出す。そしてそこを中心として自分自身と車の座席を描き、風切り音と霧の粒子を描き、シートベルトと後部ドアを描き、衣擦れと呼吸音を描き、大賢者と食べかけのクッキーとイツキを描き、ハンドルとタイヤを描き、バックミラーとエンジンを描き、それから空気の移動と冷たさを描き、冷えた金属と怖気を描き、その奥に眠る赤い眼光と鎧を描き、それの3万1946体の違いを描き、波と空気の狭間を描き、軋むような海底の響きを描き、そうして霧とそれ以外の狭間を描く。見えるものはすべて記憶して、霧に隠れているところは想像のもとに。そして今度はそれをじっくりと観察し強度を高めていく。
さながら現実世界を忠実に再現した模型を作るかのように、あるいは物語の背景を組み立てるかのように。
再現と記憶を同時並行しなければいけないため、頭はオーバーヒートでどろどろに溶けてしまいそうだった。一本の細い線を手繰り寄せるように地道な作業を続けていく。ファントムが整列してくれていて助かったと思う。ばらばらに配置されていたら多分、完全に再現することは不可能だった。ファントムは同じ顔、同じ体躯で、まだまだ動き出していない。どうだろう、それも秒読みな気がしていた。
完成に要した時間はわずか数十秒だが、シオンにとっては何時間も経っているような気がした。こんなに集中するのも久しぶりだが、ここまで来てしまえばあとはもう簡単だ。
現実と相違ない世界を自らの頭の中で完全に再現し終えたシオンは、いよいよ魔法を発動させる。

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