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ファヴァー魔法図書館 #41

『ネペジ現御神の位』
ネペジには代々国家元首の称号である
『現御神の位』を継承する家がある。
その名も『宝条家』、そして現在の現御神の位の称号を継承しているのが『宝条八千代』である。

渚瀧院文紡はこの日、八千代に呼び出されていた。
「渚瀧、最近の出来はどうですか?もう3日も文紡は唄を出ていないのですが。」
文紡は少し気まずそうに応えた。
「えーと、最近降りて来ないんです。言の葉が。
スミマセン、院名を頂いたのに。」
八千代は少し落ち着いた様子で、
「良いですよ。逆にこれまでの院名継承者より作詞間隔が狭くて心配していたところでした。くれぐれも無理はしないようにして下さいね。」

文紡は八千代のいる萃霧宮をでて想起堂へ戻った。
そして三味線を取り、思うままに詠んでみた。
ちきちきばんばん...
【舞いし夢想の記はいずこ
二度と戻らぬ儚さと
幽幻夢幻の華やかさ
その身即神仏なりて
蘇らせは出来まいか
舞踊りたるあの記憶
二度と触れぬその手先】
ちきちきばんばん......ばん......

To be continued #42 ↙
『ガラシャは貰って行きます』

P.S.一つ報告。
プロットでのファヴァー魔法図書館が完結しました。
プロットなのでまだ骨組みだけですが、それだけでも#200あたりまで行きました。
恐らくちょくちょくネタも挟みたくなってくるし時事ネタも尽きないからファヴァー魔法図書館は#400あたりまで行くかなと思います。
そういう事なんでよろしくお願いします。(って誰に何をお願いしてるんだろ。)

※今回は固有名詞とか設定とか解ってないとアレな感じの物語何でレスの方に設定書いていきます。

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  • ほんでは書いていきまっせ。

    1.ネペジ
    ネペジとはファヴァー魔法図書館と東方の高原(真弓がはじめにいたところ)のほぼ真ん中に位置する国。国家元首は『宝条八千代』。

    2.ネペジの地理及び産業
    ネペジは主に東側の山脈地帯と西の平原地帯とに分けられる。
    東側には天智山脈という山脈がある。中央で断裂し、そこから北を第一天智山脈、南を第二天智山脈としている。
    断裂している地域は地理的特徴から月見里(やまなし)地方と呼ばれ、防衛の要となっている。(攻めてくる敵も居ないのだが。)
    第二天智山脈の傍らにはネペジ最高峰の『法界峰』がありその山を取り囲む様に樹海が広がっている。
    樹海の中に切り開かれたネペジの首都『青木京』がある。
    西側には『ふり千早平原』が広がりぽつりぽつりと都市がある、産業の中心も西側。
    ふり千早平原は国土の約6割を占める大平原でその平原の最西端には第二の都市『灯前』がありここは他国との交易が盛ん。
    中心には第三の都市『永富』がありここは工業が盛ん。
    そのほかの場所では主に農業が盛ん。

    続きます

  • 3.ネペジの政治形態
    ネペジは王政ながらも三権分立の形態をとっている。
    立法機関を『牡立院』、行政機関を『芍政院』、司法機関を『百法院』と呼んでいる。(因みに憲法によりこの三院は元首である現御神の位の下に位置しているが現御神の位による干渉は固く禁じられている。)
    こちらでいう省庁は『社』『堂』となる。
    ここでの立場は社の方が上である。この中に『想起堂』も入る。

    4.ネペジの町並み
    ネペジ町並みは唐と大和朝廷の時代を合わせたような町並みである。(ただし文明レベルは割と近代的。)建築様式もそんな感じ。町並みの色は朱色がメイン。

    続きます。(疲れてきた。)

  • 5.宝条家
    宝条家は代々現御神の位を継承する。
    宝条家だからといって誰でも継承出来るわけではなく、その世代で一番初めに宝条の姓を受けた者が継承する。
    宝条家の先祖はあの人。

    6.院名
    〇〇院という姓のこと。
    この院名は『社』や『堂』でそこの長たる役目を負う者に与えられ、本名はあるものの通称として宮殿内では院名が使われることが多い。
    この院名は部門によって特殊な受け継がれ方をする。
    先代の名前の二文字目と自分の院名の二文字目、それぞれの名前の一文字目を揃えるというものである。
    例・渚瀧院文紡の場合
    先代の名前である『聡耳院文瀧』から『文』と『瀧』という字をとっている。

    続きます(やってやんよ)

  • 7.想起堂
    主に国民の為の唄を作る部門。
    主任は渚瀧院文紡、構成人数は21人(定員) 。

    8.渚瀧院文紡(しょりゅういんぶんぼう)
    想起堂主任歌人兼三味線奏者。
    本名:林中明動
    月見里地方出身
    若くして三味線奏者として頭角を表し、周囲の人間に勧められ受けた国家試験に合格、記録を専門とする『翰林社』に務めたが当時『想起堂』主任歌人であった『聡耳院文瀧』の目に留まり『想起堂』へ移籍し以後、想起堂専属奏者として活動する。(この時想起堂の定員が20人から21人となった。)
    背は低めだが割と力持ち。
    肺活量とかも結構凄い。

    明日へ続きます(われにおまかせを!)