きっと誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか?「自分が本当に自分ではなくてはいけないのか」と。よく恋愛ドラマとかで「どんなあなたでも愛してる」と聞くがそれはどこまでの“ボク”のことを指すのだろうか。姿カタチが変わっても愛してるのだろうか?記憶を無くしても愛してるのだろうか?性格が変わっても愛してるのだろうか?そこでふと気づく。それのどこに“ボク”という証拠があるだろう。それはもう“ボク”ではないのではないだろうか。だったらその“愛してる”はボクじゃなくても良くな って来ないか?