あの日、私は大阪にいました。
その日もいつもと変わらない一日を過ごし、帰りの会を終え、友達と別れたあとにあの地震が起きました。大きな船に乗っているような不気味な揺れでした。あまりにもゆったりとしているので最初は地震だとは気がつきませんでした。でも近くにある家にぶら下がっていた鳥よけが左右に激しく揺れているのを見てやっぱり揺れているんだと思いました。私は怖くなって走って家に帰りました。この時、私が住んでいた地域は震度3だったそうです。家に帰ると母が信じられないという顔でテレビを見ていました。テレビから流れてきたあの津波の映像やその衝撃は一生忘れないと思います。ほぼすべてのチャンネルで津波の映像が中継されていました。その後しばらくの間はいつテレビをつけても震災のニュースが放送されていました。CMも同じのがずっと放送されていました。私は当時、小学生2年生で何もすることができませんでした。
被災地では避難所生活や在宅避難などで大変な思いをしているのに、私には変わらずいつもの日常があって、
被災地では家族や友人などを亡くしたり、行方不明で辛い思いをしている方々いらっしゃるのに私は家族や友達に会うことができて、
何をしていても、被災地はできないのに自分だけいい思いをしていいのかと感じていたことをよく覚えています。
私は東日本大震災をきっかけに災害があった地域の医療に貢献することのできる看護師になりたいと思うようになりました。私は来月から看護学生になります。
私は被災者ではないので書き込みをするか迷いましたが、震災後に生まれた生徒や幼くて覚えていない生徒は被害がなかった地域はどのように震災を受け止めたのかをきく機会はあまりないのでは、と思い投稿させていただきました。私が被災地のために出来ることは少ないですが、自分にできることをしていきたいと思います。