長くてひとつに収まらなかったので、ふたつに分けて書き込みさせていただきます。
東日本大震災から10年
10年前の今日 東日本大震災が起こった。1万5900人(12都道県)もの方が亡くなり、今現在も行方不明者が2525人に(6県)上る。(R3 3/1現在)
自分の家では電気が止まっただけで、水道は止まらなかった。もちろん不便な生活ではあったが、宮城県内でも軽度の被害だったと思う。 だが、岩手県陸前高田市に別居していた父方の祖母が… そこ(岩手)で同居していたおじにあたる人は今現在も行方不明となっている。 こういった経験をしているのは自分だけじゃないだろうし、してないからといって同情しろとも言わない。ただ理解はしておいてほしい。
震災から何年かして、その祖母の家があったであろう場所へ行きました。確かに家があった証である基礎(?)の部分がありました。しかし基礎だけでした。道路を挟んだところに公園もあったのですが、遊具なども全部流されていました。家が流されるぐらいだから当然といえば当然なのですが、(公園が)あったであろう場所に何も無く、虚無感のようなものを感じたのを覚えてます。
今年はあの震災から10年という節目の年でもあります。自分に限らず人の記憶というのは薄れていくもの。そして3.11以降に生まれた人は、あったことを知らずに育ちます。それを“仕方ないこと”で終わらせないため“語り部”と呼ばれる方がいるのだと思います。震災が齎した被害や逆に教訓として後世へと語り繋いでいく。そうして実際に経験したことの無い人でも間接的ではあるが“あの日何があったのか、起こったのか”を知ることが出来ると思います。
「10年」という歳月を「『もう』10年」と捉えるか「『たった』10年」と捉えるかは人それぞれだとは思います。震災で失われた生命や震災前の生活は、どう願っても、努力しようとも戻っては来ません。 10年経っても心の傷が癒えていない人もまだまだ大勢いると思います。周りには「まだ引きずってるのか」なんて言う人がいるかもしれない。でも自分はそれでもいいと思う。10年でダメなら20年、30年…と どれだけ時間がかかっても、毎日毎日ほんの少しずつ前を向いていければ。
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