私は当時保育園児だったので、細かい部分の記憶があまりありません。
ただ覚えているのは、急にストーブが消えて部屋が真っ暗になったこと、なんだか怖い警報の音がテレビから聞こえてきたこと、先生が真面目な顔で何かを喋っていたこと、いつもの保育園からの帰り道がやけに混雑していたこと、お父さんがロウソクに火をつけて、その周りで夕飯を食べたこと、、
本当に状況が混乱していて訳が分からなかったです。
私の住んでいる秋田県は被害の少ない県なのですが、同じ東北の太平洋側では何千人もの人が津波に飲まれたり、命を落としたりしているなんて想像も出来なかったです。
運良く生き残った私たちだからこそ、後世にもこの体験を伝えて、今こうして生きていることに感謝したいです。