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経験した記憶 2011.3.11

自分は、小学生で、震災の時間は帰りの会が終わり、階段を降りてる途中で被災しました。
揺れがなくなったら、地震の被害の確認をして、すぐに自宅に歩いて帰りました。
家に帰る途中までに、揺れてる感じはたまにあるし、そのまま家まで歩きました。
信号機は消え、街中が一変としていました。
自宅の周辺で母が携帯でテレビを少しだけ見て情報を収集していました。
あの時に見た想像を絶する津波の映像は忘れないです。
そして、家の中に入っても、暖房はないので、とても寒くて、停電が解消したのは3日後のことでした。
学校も休校はするし、情報は壊滅的でした。
電気に関したは復旧が未定で、いつ治るかもわからない地獄の日々でした。
その間はジャンバーに毛布をかぶってとにかく寒さを凌ぐことしかできませんでした。さらにお風呂も入らなかったのでとにかく苦痛でした。
ただ、ガスと水道は動いていたので、ご飯は温かいものを食べられました。
ただ、自分よりも酷い状況の人はいましたし、父はスーパーで働いていましたが、冷蔵庫ダメなので、物を売り捌いたりと忙しくしていたとあとで聞きました。
震災後もガソリン 3リットルを入れるためだけに、並んだり、物流も止まっていたので、カレーが何日も続いたりとかも当たり前でした。
缶詰なども確かにありましたが、好きなものをなかなか食べられないのは辛かったです。

雪は深々と降り、少し積もっては雪をかきに行ったり、そんなこともしてました。

簡単に語りましたが、自分が2011年3月11日以降にした経験です。
ただこれよりも酷い経験をしてる人もいるんだってあの頃は思ってました。
今も、それは変わらないです。
だからこそ、改めて、災害に対する準備、そして防災マップでの自分の地域の災害の危険性を確認して欲しいです。
同じ10代で生き延びてる子もいれば、生き延びていない子もいます。
現実に思えないとか思う人もいるけど、あの映像のことが現実10年前に起こりました。
それをあなたがどう感じるかはあなた次第です。
この日を1人でも多く、そして日常的に地震、災害を自分ごとにしてもらえたら嬉しいです。

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