震災からもう10年、当時私は中1でした
私は群馬の学校で英語の授業をしていました
先生がプリントを渡し終わりプリントを見ようとした時でした
ガタガタと教室のドアが揺れ始めました
私は風邪で揺れてるのかと思っていたら同級生の男子が地震だといいそうだというふうになり机の下に隠れました
すると自信が大きくなり私は恐怖を感じました
そして同級生の女子が二回目の余震で泣き始めたのを憶えています
そして私は母親が群馬に行くために渡る橋が亀裂が入ってしまい渋滞で学校に着いたのが夜の7時30分過ぎでそれまで学校で担任の先生と校長先生と待っていました
その間もちっちゃい余震が何回もきて怖かったです
帰りぎわに校長先生から差し入れをもらったのを今も覚えています
それから次の週に卒業式にいきそれ以降は寮が閉まってたのとガソリンを節約するために終了式まで休みましたが休んでも出席扱いにしてくれてたので欠席にはなりませんでした
私はあんな一瞬で当たり前だった日常が無くなってしまうんだと私は3月11日の東日本大震災で思い知らされました
だから風化させないことが私はだいじなんだなあと私は思いました